
夏祭りは子供時代の夏休みの思い出のひとつである。夜の外出、音割れの音楽、人込みとにおい。
屋台に魅了され、あちこちと寄る。終わりは花火で暗い夜空に大きな音。色とりどりの花火。
楽しかった思い出。親に連れられ、浴衣を着て。帰っても余韻が残りしばらく寝付けなかったのを
思い出す。
はぐれないように手をひかれた。
今は逆だ。
小さい母、さらに小さくなった。
祭りの舞台は室内。こぢんまりとして、5分もあれば巡れる。盛り上げようとするスタッフの方々。
そして冷める母。温度差をどうにかしようとするきょうだいと私。
それでもヨーヨー釣りは昔を思い出したのだろう。
ヨーヨーをぱしぱしとつき、「昔みたい」と懐かしそうだった。
ヘルパーの方の話によるとようやく慣れて、室内をひたすら周回していたのが減り、時折冗談を
いうようになったのだそうだ。特養入居しばらくは積極的に会話するものの冗談までは言わず、
まるでスタッフの一員のようにふるまっていたというのに。
(どうも自分の役割を探していたようだった。)
なんというか、角が取れて丸まったといった感じか。
帰るとき、いつもついてくる。当たり前だ。
ついてくる、じゃなくて一緒に帰ろうとするのだ。
家じゃないから。
エレベーターの前、扉が閉まる。
何もできないくせに。情で介護などできはしないと痛感したはずなのに。
未だ顔を見ることができないでいる。
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